自伝:整体師になったけど②

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足のコンディショニング越谷base

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続き

 

そして東日本大震災

あの時間はスタッフのMさんは昼食に出ており、治療院に一人でした。

突然の経験のない、揺れに動揺し、何が何だかわからないまま、ラジオをつけ、情報をとりました。

「津波???」

どういう意味かはネットの動画を見てようやくわかりました。

自然の破壊力、人間の無力さ、ラジオから聞こえるアナウンサーの声。繰り返す言葉。

 

僕たちは今未曾有の経験をしている。

 

人助けを生業にしている自分たちが指くわえてていいのか?今何ができる?

 

今何が??

 

営業を終了してすぐ、駅前に向かいました。

 

外はどうなっているんだ??帰宅難民がいたら、何かできるか?

 

来ないバス、タクシーを待つ人たちが寒そうに行列を作っていました。

 

そうだカイロを配ろう!

手持ちのお金で使い捨てカイロを買えるだけかき集め、Mさんと配りました。

それでも、全く心の何か、突っかかりはとれず、その日は店に泊まったのです。

翌日、それ以降もモヤモヤが日に日に増して生き、ツイッターを追いかけていると、一人でもできることがある、現地に行こうと呼びかける人がいたのです。

そこからはもう、怒涛の日々でした。

単身石巻に行き、その後、いろんなボランティアの方と出会い、

「小さな避難所と集落をまわるボランティア」という枠組みの中でそれぞれができる活動をしていこうと提案する元新聞記者の方と出会い、支援活動を本格的に始めたのです。

 

これは被災者、支援者ではなく、個人と個人という、顔の見える関係を作っていこうという聞いたことのないボランティアで、最初は正直、がれき撤去した方が、よほど役に立つんじゃないかと、思っていました。

しかし、担当した南三陸に、一度行き、被災者と繋がり、次にいく理由ができ、2回目行き、3回目の理由ができ、と、南三陸に通うようになっていました。

 

0泊3日みたいな過酷なことも何度もやりました。一所懸命、足りないものを必要な数だけ必要なところに。

 

しかし、夏も過ぎると、傾聴訪問のように変化してきて、そのうちだんだん持っていくものより、お土産の方が多くなっていました。名前で呼び合い、親戚の家に遊びにいくような感覚。これって一体なんなんだろう?

支援のために通っていた南三陸にいつのまにか、笑顔に会いに、話を聞きに、話を聞いてもらいに、心の交流というか、不思議な関係になっていきました。

 

僕をこの活動に引き入れた方の言っていた形がこれなのかと。

被災者、支援者ではなく、個人と個人という、顔の見える関係を作り、その後もずっと付き合えれば良いねと。

 

そして、埼玉の家族と東京の治療院。院は信頼できるスタッフに任せるようになり、気持ちは東北に。いつも東北。

家族との時間も減らし、今は有事なんだ、しようがないんだ、と。気持ちは東北。いつも心に東北。

そして、家族も治療院も患者さんも傾き倒れかけていたことに全くきづきませんでした。

仲良くしていた、被災地のYさんに

一番大事なのは家族でしょ!

と怒られ、目が覚めました。

お茶ラジプロジェクト(お茶のみと東北弁のラジオ体操を組み合わせたコミュニティの場を作るプロジェクト)を最後に、およそ一年続けた支援活動はピタリとやめました。

失った仲間、失った信頼、家族、日常を取り戻すために。

家族が一番大事。何をおいてもそこはおざなりにしちゃいけない。

そんな当たり前ができなくなっていた自分。

少しずつ、僕の中で価値観が変わっていることに気づくのです。

 

憎き津波が僕にくれたもの

協力してくれたたくさんの友人、震災で知り合った仲間との交流の中で、

治療院の中だけで満足していたちっぽけな自分。

 

衝動に駆られて東北に来て感じた被災地の思い、非被災地の思い、

政治、マスコミ、経済活動、

外に目を向けたら、本当に知らないことだらけで、

見たことも聞いたこともない世界、初めて味わう感情、生と死。

生きている人、亡くなった人、どちらかわからない人、それを待つ人。

瓦礫の山、鉄筋だけの建物、思い出の場所、思い出のもの。

奮い立つ被災者、鬱になる支援者、取り持つヒト、引き裂くヒト

浄化されていく海・・・・

ヒト、モノ、コト、ヒト、モノ、コト

 

僕は震災以来、モノの考え方、捉え方がすっかり変わっていきました。

人とつながるということ、この向こう側に何がある?誰がいる?

目の前の出来事の本質はなんだ?

いつもそんな風にぼんやりとですが意識するようになって行きました。

 

憎き津波。

でもその津波をきっかけに

今の僕の生き方、考え方が変わり、

納得のいく道筋が見えるようになっていました。

 

僕は治療スタイルにまで変化が出てきました。

栄養学を学び、ランニングにどハマりし、運動の重要性を改めて学び、

ビジネスの勉強もしました。

 

視野が広がると患者さんの見立ても変わって行きました。

 

今まで、自分の腕ばかりに頼っていた治療からの脱却です。

 

自分の中に治る力はたっくさん持ってるじゃんか!

ほんとはすごいんだぞ人間て!

 

ここら辺が今の自分のスタイルの原点になっているのだと、

 

これを書きながら、改めて、頭が整理されました。

 

そして

今僕は、家族との時間を一番に考え

 

地元開業を決意するのです。

 

 

自伝:整体師になったけど③

 

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