海の幸トレイルランのあと、北上し南三陸へ向かいました。
南三陸は2011~12年にボランティア活動で20数回訪問していた地域で
いまや、第二の故郷のようなところです。
現地では、ボランティア仲間でもあり、
カイロプラクティックの専門学校の後輩でもあるSさんと合流しました。
Sさんも東京から石巻まで夜行バスできていました。
およそ5年ぶりの南三陸は景色がすっかり変わっていて、驚きました。
10m以上のかさ上げ工事があちこちで行われていて、何が何だか・・・
南三陸に来るとかならず防災庁舎にお参りしていたのに、どこにもない。
よくよくみると自分の立っているところが10m以上高くなっていて、目線と水平なところに防災庁舎の屋上がありました。
復興商店街として有名な南三陸さんさん商店街は賑わっていました。
ただ、観光者向けで地元の人が行かないという問題点は解消されておらず、やはり、平日は閑古鳥らしい。なかなか難しい問題ですね。
15日の夕方から16日の2日間で、
以前支援させていただいていた個人宅へもほぼ予定通り、訪問でき、みなさん元気そうで安心しました。
問題は山積みだけど、前を向いて明るくその日その日をしっかり生きている。そんな気概を感じました。
漁師のお父さん達、みんなあいかわらず肌艶も良く、あいかわらず、方言がきつく半分くらいわからないし笑。
なんとなくみんな体が一回り小さくなってました。。みなさん70を超え、
最後に会ってから5年経ちましたからね。
今回泊めていただいたお宅は、もはや親戚という感じのお付き合いで、
家族のように遠慮なく笑、接してくれてあー、帰ってきたなあ〜と思いました。
南三陸の今を車でまわり、いろいろ話を聞きました。
ゆかりさんいつもありがとう。
行った先々で手土産もいただき、胸いっぱいで帰路につきました。
行きも帰りも常磐道を使いましたが、福島の帰宅困難地域も通過するのでちょっと、ナーバスな気持ちになりました。高い放射線量であっても、元の生活に、今までのように暮らしたい、戻りたいと願う住民。線量は高いので若い人は戻らない。
国のかじ取りの一貫性のなさ、住みたい住めない、のはがゆさ。
まだまだ、東北復興は道険しです。
これからも、ご縁のできた皆さんとは末長く、親戚のようにお付き合いしていきます。
西の豪雨被害もたいへんな状況ですね。自分にできることはなにか、考えていきたいと思います。