松田タカシの独り言

自分らしくつづります。

自伝:整体師になったけど③

足のコンディショニング越谷base

前回はこちら

 

俺は何がしたいんだろう?

 

整体の仕事を生業にしながらも、

そういうことでもなさそうだな。俺の目指すことって。

そんなことくらいは割と明確にわかっていたのです。

 

でも、困った。俺のやりたいことは看板にひとことで書けないぞ。

 

ビジネスで散々学んだ鉄則

 

あなたが何屋さんかを明確に伝えなければお客さんとは永遠に出会えない。

たとえどんな素晴らしいサービスをしていたとしてもね。

 

はい、完全にこれです。

 

でも嘘はつきたくないし、かっこ悪い〇〇整体とかぜったいありえない。(すいません)

 

でも苦労するのは認知されるまでなんだから、まあ、思いをぶち込んだ名前にしよう!

 

そして決まったのが

 

越谷BASEコンディショニング&カフェ

 

でした。

中継地点、拠点、土台、基礎、足、

もう僕にはこの名前しかないのです。

微調整、相当悩みましたけど笑。

 

ほくは飽きっぽいし、変わったことが好きだし、マイノリティでアウトサイダーではあるけど(笑)、

 

整体という仕事を続けた来た結果、整体の外に飛び出した結果、

整体だけにこだわる必要を感じなくなり、

 

いろんなスタイルがあって良い

いろんな治り方があって良い

いろんなヒト、モノ、コトが出会う場があれば

うまくいくことはたくさんある。

 

カフェでまったりすることが何よりの治療になる人もいるでしょう。

運動をしない人がここのレッスンを通して、始めるきっかけになれば最高。

食事にこだわり、食事に翻弄されている人が

体から診立てるホリスティカルな栄養学に触れて気がラクになれば超嬉しい。

子どもたちが走ることを大好きになって元気に駆け回り、スポーツで青春を謳歌してくれれば、本望。

 

そして、

僕は”ゴッドハンド:神の手”が治癒に導くというクライアントさんの幻想を変えていきたい。

 

セラピストの腕がいいことは当たり前です。

でも僕は

治す技術を通して、体との付き合い方、向き合い方を伝えたい。

 

それでも生きていれば、いろいろあります。

それを寄り添い、サポートできればいい。

僕たちプロは絶対主役になってはいけない。

 

 

手品みたいに治った人は、治療に依存します。

それは短期的にはクライアントのメリットになりますが、

必ず、ぶり返したり、なぜそうなったかを考えることをしなくなります。

 

思考を奪うことは洗脳です。

これは治療院のメリットだけです。

 

 

 

僕が目指すのは

「整体のいらない身体作り」です。

整体師・カイロプラクターだけど、治すという見せかけの整体の仕事の量を全力で減らしたいと心から思っています。

 

僕たちはプロのメンテナンス屋ですから。

 

(調律って言葉が自分には一番しっくり来るんだよなー。ボソッといっておく)

 

整体、かけっこ、ランニング、セルフケア、インソール、カフェ、食事。

 

僕はまだまだ貪欲です。

 

あれこれ手をつけてるけど本質は変わらない。

 

このお店をゆっくりと育てていきたいと思います。

 

 

だからもっと認知させないと!!

 

応援よろしくお願い申し上げます。

 

長々とお付き合いありございました。

 

頑張ります。

 

 

松田タカシ

 

 

自伝:整体師になったけど②

足のコンディショニング越谷base

前回はこちら

続き

 

そして東日本大震災

あの時間はスタッフのMさんは昼食に出ており、治療院に一人でした。

突然の経験のない、揺れに動揺し、何が何だかわからないまま、ラジオをつけ、情報をとりました。

「津波???」

どういう意味かはネットの動画を見てようやくわかりました。

自然の破壊力、人間の無力さ、ラジオから聞こえるアナウンサーの声。繰り返す言葉。

 

僕たちは今未曾有の経験をしている。

 

人助けを生業にしている自分たちが指くわえてていいのか?今何ができる?

 

今何が??

 

営業を終了してすぐ、駅前に向かいました。

 

外はどうなっているんだ??帰宅難民がいたら、何かできるか?

 

来ないバス、タクシーを待つ人たちが寒そうに行列を作っていました。

 

そうだカイロを配ろう!

手持ちのお金で使い捨てカイロを買えるだけかき集め、Mさんと配りました。

それでも、全く心の何か、突っかかりはとれず、その日は店に泊まったのです。

翌日、それ以降もモヤモヤが日に日に増して生き、ツイッターを追いかけていると、一人でもできることがある、現地に行こうと呼びかける人がいたのです。

そこからはもう、怒涛の日々でした。

単身石巻に行き、その後、いろんなボランティアの方と出会い、

「小さな避難所と集落をまわるボランティア」という枠組みの中でそれぞれができる活動をしていこうと提案する元新聞記者の方と出会い、支援活動を本格的に始めたのです。

 

これは被災者、支援者ではなく、個人と個人という、顔の見える関係を作っていこうという聞いたことのないボランティアで、最初は正直、がれき撤去した方が、よほど役に立つんじゃないかと、思っていました。

しかし、担当した南三陸に、一度行き、被災者と繋がり、次にいく理由ができ、2回目行き、3回目の理由ができ、と、南三陸に通うようになっていました。

 

0泊3日みたいな過酷なことも何度もやりました。一所懸命、足りないものを必要な数だけ必要なところに。

 

しかし、夏も過ぎると、傾聴訪問のように変化してきて、そのうちだんだん持っていくものより、お土産の方が多くなっていました。名前で呼び合い、親戚の家に遊びにいくような感覚。これって一体なんなんだろう?

支援のために通っていた南三陸にいつのまにか、笑顔に会いに、話を聞きに、話を聞いてもらいに、心の交流というか、不思議な関係になっていきました。

 

僕をこの活動に引き入れた方の言っていた形がこれなのかと。

被災者、支援者ではなく、個人と個人という、顔の見える関係を作り、その後もずっと付き合えれば良いねと。

 

そして、埼玉の家族と東京の治療院。院は信頼できるスタッフに任せるようになり、気持ちは東北に。いつも東北。

家族との時間も減らし、今は有事なんだ、しようがないんだ、と。気持ちは東北。いつも心に東北。

そして、家族も治療院も患者さんも傾き倒れかけていたことに全くきづきませんでした。

仲良くしていた、被災地のYさんに

一番大事なのは家族でしょ!

と怒られ、目が覚めました。

お茶ラジプロジェクト(お茶のみと東北弁のラジオ体操を組み合わせたコミュニティの場を作るプロジェクト)を最後に、およそ一年続けた支援活動はピタリとやめました。

失った仲間、失った信頼、家族、日常を取り戻すために。

家族が一番大事。何をおいてもそこはおざなりにしちゃいけない。

そんな当たり前ができなくなっていた自分。

少しずつ、僕の中で価値観が変わっていることに気づくのです。

 

憎き津波が僕にくれたもの

協力してくれたたくさんの友人、震災で知り合った仲間との交流の中で、

治療院の中だけで満足していたちっぽけな自分。

 

衝動に駆られて東北に来て感じた被災地の思い、非被災地の思い、

政治、マスコミ、経済活動、

外に目を向けたら、本当に知らないことだらけで、

見たことも聞いたこともない世界、初めて味わう感情、生と死。

生きている人、亡くなった人、どちらかわからない人、それを待つ人。

瓦礫の山、鉄筋だけの建物、思い出の場所、思い出のもの。

奮い立つ被災者、鬱になる支援者、取り持つヒト、引き裂くヒト

浄化されていく海・・・・

ヒト、モノ、コト、ヒト、モノ、コト

 

僕は震災以来、モノの考え方、捉え方がすっかり変わっていきました。

人とつながるということ、この向こう側に何がある?誰がいる?

目の前の出来事の本質はなんだ?

いつもそんな風にぼんやりとですが意識するようになって行きました。

 

憎き津波。

でもその津波をきっかけに

今の僕の生き方、考え方が変わり、

納得のいく道筋が見えるようになっていました。

 

僕は治療スタイルにまで変化が出てきました。

栄養学を学び、ランニングにどハマりし、運動の重要性を改めて学び、

ビジネスの勉強もしました。

 

視野が広がると患者さんの見立ても変わって行きました。

 

今まで、自分の腕ばかりに頼っていた治療からの脱却です。

 

自分の中に治る力はたっくさん持ってるじゃんか!

ほんとはすごいんだぞ人間て!

 

ここら辺が今の自分のスタイルの原点になっているのだと、

 

これを書きながら、改めて、頭が整理されました。

 

そして

今僕は、家族との時間を一番に考え

 

地元開業を決意するのです。

 

 

自伝:整体師になったけど③

 

自伝:整体師になったけど①

足のコンディショニング越谷base

足掛け20年越谷に住んでいますが、ようやく地元に根を下ろし働くことになりました。ここでは無名の一整体師ですので、私のことを知らないみなさまと少しでも距離が縮まればと思い、包み隠さず、松田タカシをお話しさせていただきます。でも自分のために書いた。ほとんど。

 

 

陸上とギターに明け暮れた中学高校時代

中学、高校と陸上部で110mハードルという障害競技を専門にしていました。

中学の最後の一年は、住んでいた川口市の大会では完全優勝、うち2つは大会新記録と、好成績を残していました。

陸上と母親から習ったギターだけは真剣にやっていましたが、本当に勉強はサボっていました。

北辰テストという当時の偏差値が出るテストで2回連続で、40前後と衝撃の数字を叩き!流石に入れる高校がないことにショックを受けました。

そこから頭の良い年子の兄貴にお願いし、猛勉強を始めたのです。

幸い、部活で好成績を残していたので、私立へのスポーツ推薦を取り付け、それでも不安なので、勉強は続けました。

すっかり友達と遊ばなくなり、帰りは単語帳を開きながら走って帰る毎日。

結局、受験直前では3教科で偏差値は確か65か66まで上がりました。

 

スポーツ推薦で入った私立高校では、勉強はやはり、またしなくなりました笑。

陸上とギターに相変わらず夢中になる日々でした。陸上では3年間結局、地区予選は抜けられませんでしたが、高校ランキングでは34位。タイムだけは良かったおかげで、A標準突破者だけが出場できる横浜アリーナ室内陸上というなんだかすごい大会に出ることができました。全国の強豪と肩を並べて60Mハードル。いい思い出になりました。

そして、大学受験の時に、大学受かったらあと4年間は陸上に集中、終わったら音楽活動をしよう。受験失敗したら、就職はしないで音楽をやる。と決めました。

大学入試は、またスポーツ推薦。今では箱根常連校になった某大学一本に絞り望みましたが、文武両道を掲げるその大学の文の壁を超えられず、大学受験は失敗したのです。

 

 

とりあえず音楽。それしかなかった。

受験を失敗したら、中学からずっと一緒にギターを弾いていた親友と二人、

プロになれるかわからないけど、とにかくやると決めた。

陸上と音楽だけの6年間を過ごした僕にとって就職する選択肢はなく、

陸上なき今、アルバイトしながらの音楽活動にのめりこみました。

仕事では大どんどん大きなを仕事を任されるようになり、契約社員、社員とステップアップ、

音楽は新しいバンド仲間と出会い、ブルースバンドを結成、自主制作テープ、CDなどもリリース、あちこちで週末ライブ、東海地区遠征、すずめの泪ほどでもギャラも出たりしつつ、、こちらも夢中になりました。

仕事は仕事、バンドも最高、この時期は本当に夢のように楽しい日々でした。

ライブやるたびに、プロみたい、とチヤホヤされながらも一向にプロ化せず笑、

そして結婚

そんなうち、今の妻と出会い、2年を待たずに結婚。そうなるともうちゃんとしなきゃと、思うようになり、兼ねてから誘われていた正社員になる決断をしたのです。

その頃はもうバンド仲間もだんだんと仕事や転勤でライブが組めなくなり、プロになるメンバーも出たりして、ソロでライブもやるようになっていました。

私の職場は、先行きの不安なアミューズメント業界、成り行きで正社員までなったものの、

「ここに骨埋めるのか?」ということが現実的に目の前に現れた時に

ビジネスライクだから続いていた気持ちがはっきりとわかり、精神的に苦しくなって行きました。

耐えきれず、退職を決意したのです。

 

一国一城の主人に!

 

自分の時間を自分でコントロールできる生活ってなんだ?

好きな仕事を見つけ、音楽も続けられる環境って?

独立事業主しかないじゃないか!!

 

という感情が沸き立ち、次も決めず、会社を退職しました。結婚したばかり、義父に合わす顔もない、そんな中でやりたいこと見つけを始めました。もう行き当たりばったりです。

本当に何をしようか決まっていなかったのですが、高校の陸上部の仲間たちが、マッサージや整骨、カイロ、トレーナーなどを仕事にしてて、なんとなく、この道なら入りやすかな、と資料を請求し始めました。何箇所か体験にも行き、決めかねている時に、取り寄せた資料中に、僕の運命を変える一冊があったのです。

 

カイロプラクティックとの出会い

私が卒業した大川カイロプラクティック専門学院の学院長である、大川泰先生の著書、『カイロプラクティックほど素敵な仕事はない』この本を読み、人に感謝され、しかもちゃんと稼げて、夢のような未来が描かれていました。

授業見学での解剖学、生理学のしっかりしたカリキュラムは、アメリカのカイロの大学のレントゲンの授業以外を抜かせば引けを取らない内容だとの学院長のお言葉、実技でも国内のどの学校よりも実践的で中身が濃いという意気込みに感動し、施術体験の感触もよかったので決めたのです。

 

さあ、決まった。カイロプラクターになろう!と。

学院に入学し、誰よりも早く、現場に入り、手を作り、誰よりも早く、患者様を担当するようになりました。施術は素人でしたが、高校時代の先輩のマッサージ、背骨を鳴らす遊び笑、などで抗体がありましたので、同期が苦戦する難題課題はどんどんクリアしていきました。

 

学生のうちからどんどん経験を積み、治療の面白さや難しさを体験し、これはすごい仕事だぞ、しかも俺、向いてるぞ!(楽天的)と確信するようになりました。

 

実は父親に昔から言われていたことがありました。

「お前肩もみがうまいなあ。孝司のタカは親孝行の孝だからなあ」

 

こういう、親の何気ない言葉が僕の命に刻まれていた、のかはわかりませんが、父のいうとおりになったのか、と感慨深い気持ちになりました。

 

サービス業を長くしていた経験が生き、患者さんとのコミュニケーション、何を求めているのか、どう切り返したら良いか、など技術的に足りないところをコミュニケーションでリカバーしていました。

 

そして、2007年の夏、就職したのが武蔵野市のにしくぼ整体(前職場)でした。

8ヶ月働いたら、春には地元越谷界隈で独立する予定が、我が娘の出産と重なり、独立は延期。

あれよで院長に就任し、晴れて、フランチャイズですが、念願の独立事業主になったのです。

本当にやりがいのある仕事、難しいけど、笑顔を作る仕事、技術も大事だけど、

先輩たちが、常々、この仕事はサービス業だぞ、と言っていたのを

経験を積めば積むほど、本当にそうだ、治療って治す技術だけではないんだ、実感していました。

苦労もたくさんしましたが、働いてくれる仲間、患者さんに成長させてもらう日々でした。

 

自伝:整体師になったけど②

あなたは自分の体を理解できてますか。

あなたは自分の体を理解できていますか。

 

 

突然の難しい質問で申し訳ありません。

 

今の自分は健康?ちょっと不健康?よく分からない??

わたしのクライアントさんの多くが、よくわからない、と答えます。

 

世の中、たくさんの情報やモノに溢れています。

いつの間にか、薬ありき、補助ありき、負担は避けろ、無理はするな、と

私たちは中に眠っている“強くしなやかな回復力や適応力”が

発揮できない社会になり、飼いならされてしまっていると言わざるを得ません。

 

 

そんな状況から頭の中をパラダイムシフトさせる方法は

知識でも、特殊な方法でも、魔法のような整体術でもありません。

実はシンプルです。

 

体力がつくことです。

正確にいうと体力がついてくるとです。

(運動嫌いでも目から鱗な内容ですので、このまま読み進めてください。)

これが一番シンプルで手っ取り早い方法です。

 

気力ではなく、体力です。

体力はいざの時になんとかしてくれる突破口になります。いくら気力があっても物理的に体力がないことに対する心のブロックは強力です。結局行動に対して、ネガティブになっていきます。

 

体力に裏打ちされた動ける、という事実は、

私たちの中に眠っている

“強くしなやかな回復力や適応力”のスイッチが入ります。

体力がつけば、いろんな健康情報に踊らされ、強迫観念から逃げ回る生活からはさよならできます。

 

 

とは言っても運動嫌いな方多いですよね。。

 

安心してください。

 

 

身体を整えていくと、少しずつ基礎体力がbaseupします。

 

体が元気になると心に余裕が生まれ、動きたくなります。

 

そのポジティブでいられる範囲内で無理なく、

 

今の自分に抵抗しないで、受け入れながら過ごしていれば、

 

気がついたら、体力はついています。

 

「そうする」のではなく、「そうなる」のです。

 

 

頑張る気がないときはしない。

 

頑張れる気がしてきたら、頑張るときです。

 

いつもより少しだけ頑張ってみるのです。

 

そのときの高揚感や、満足感は得難いものになるはずです。

 

 

 

越谷baseは今のあなたに寄り添いながら問題解決していきます。

あなたの毎日が”元気に笑顔でアクティブに!

 

 

 

 

足から身体を整える整体コンディショニング

越谷BASE

 

 

 

体って本当に面白い

私たちが悩まされる体の不調に、

体だけで起こる問題など一つもありません。

 

体と心、心と栄養、栄養と体、

この3つのトライアングルが整うことが

身体の最適化

につながります。

 

痛みや歪みは必ずしも体だけの問題ではありません。

 

例えば

どんなに栄養のある食事でも

イライラして食べたら消化不良を起こします。

 

無農薬の野菜だからってイヤイヤ食べたら

ちゃんと体に吸収されません。

むしろストレスというダメージの方が

悪影響かもしれません。

 

ファストフード、コンビニの添加物だらけの食べ物でも

心身のコンディションが良ければ、

しっか解毒、排泄、洗浄をしてくれます。

 

 

やりたくない仕事をやらされていると、とても疲労しますが、

自発的に取り組む仕事は充実感に満ち、疲れを忘れます。

 

科学的にどうとかいう論議ではなく、自分にとって都合よくいいようにそういうものだと捉えることが大事だと私は思っています。

 

極論ではなく、全て“程度”の問題。

その“程度”はどこまでいっても自分の物差ししかありません。

 

 

 

多角的に俯瞰して物事を捉え、思い込みの足かせをとり、心と体ができるだけ、解放され、楽になれれば本当に痛みや不調は遠ざかって行きます。

 

それがますます良い循環を作り、心身がもっともっと、良くなろうと動き出します。体が勝手にやり始めるってところがポイント。

 

 

私はその気づきをクライアント様とシェアしあいながら

体って不思議ですね!面白いですね!

そんな会話ができるのが一番の治療になると信じています。

 

自分の体にもっと寄り添い、もっと対話して理解を深めていくと

痛いから辛いとか、辛くないとか

よりも、わくわくするような気持ちすら湧いてくるのです。

 

体とは本当に面白いです。

 

 

松田タカシ